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政治・国際問題

【5分で分かる時事!】中国の天安門事件とは?人間ミンチ?中国語では?画像は?分かりやすく解説!英語?

この記事は約8分で読めます。

天安門事件とは?人間ミンチ?画像は?中国語で?わかりやすく解説

引用:天安門

分からない人
分からない人

天安門事件って何?

ちろは
ちろは

簡単に言うと、

民主化運動を行った国民に対し、政府がそれを弾圧したっていう事件だよ。

分からない人
分からない人

政府が弾圧するなんか、

今の中国やロシアは普通にやってるじゃん!

なんで、歴史的に有名なの?

ちろは
ちろは

現代では考えられないほど、残忍で卑劣な弾圧だったからだよ。

天安門事件とは?

China’s President Xi Jinping claps after his speech as he and other new Politburo Standing Committee members meet with the press at the Great Hall of the People in Beijing, China October 25, 2017. REUTERS/Jason Lee TPX IMAGES OF THE DAY – RC1CA251AF60

正式名所は、64天安門事件といいます。

(別名:第2次天安門事件。)

(中国語:天安门)

1989年6月4日 北京の天安門広場に集まり、

民主化を訴えた学生や市民を

中国の軍隊(人民解放軍)が鎮圧した事件です。

中国最大の汚点ともいわれており、2019年現在、

中国はこの事件をなかったことにしており、

インターネットでは検索できなくなっています。

(中国共産党は事実を隠蔽したいために)

下の画像は

武器を持たない青年が武装した軍隊(戦車)

丸腰で抵抗しているものです。

いまだにこの青年(通称:タンクマン)が

どこの誰なのか詳細が分かっていないことから、

中国当局のプロパガンダなのでは?

と陰謀論があるくらいです。

一説によると、当局に連行された後、

釈放されたあるいはO刑されたなど

流れていますが、詳細についてはいまだに謎が多いです。

当時は

中国が民主国になるか?

という大きな話題にもなりました。

天安門事件から30年 中国が忘れた映像 – YouTube

ソース画像を表示

引用:天安門1

毎年、天安門事件の日は追悼イベントが拡大しないように

政府は治安部隊を導入して圧力をかけています。

天安門事件の経緯

①当時のトップ鄧小平が経済開放政策を行う。

前任の毛沢東政権で停滞した経済を立て直すために行った。

経済開放政策・・・外国企業を中国に呼び込んだ

②経済は成長し、自由化した。

③中国国民は海外の情報を得る。

④中国には自由がないことに気づく。

⑤1981年 胡耀邦(コ・ヨウホウ)が共産党トップ(国家主席へ)。

副主席は鄧小平。

⑥民主化運動に胡耀邦(中国トップ)が理解を示す。

しかし、党内の保守派が危機感を抱く。

これに鄧小平も同調。

⑦1989年 4月15日、胡耀邦(コ・ヨウホウ)が死去。

民主化に理解があったので、国民からの支持が高かった。

⑧死を悲しむ人々が天安門広場へ集まり、民主化を訴える運動へ発展する。

1989年6月4日 鄧小平は戒厳令を発令

「中国人民がもし中国共産党の歴史の真相を知ったら、必ずわれわれの政権を転覆させるだろう」

胡耀邦は生前このようなことを言ったと知られています。

兵士、戦車、装甲車が天安門広場へ。

流れとしては上のようになっています。

より詳細に述べると、

1989年4月15日、

胡耀邦元総書記が心筋梗塞のため亡くなります。

北京にある天安門広場では、

学生らによって追悼集会が開かれました。

その数、約10万人

この集会は、胡耀邦を解任した最高指導者、

鄧小平への抗議活動の意味合いも含んでいました。

すると追悼集会は徐々に形を変え、中国独裁体制を否定し、

民主化への移行を求めるものになっていったのです。

また、隠蔽体質的な政府に対し政治改革を訴えるなどを行いました。

ヒートアップし、集会がデモへと発展。

この時のデモは推定100万人にいたといわれています。

当時の写真↓

抗議活動は1989年4月に始まった。民主化に理解を示した胡耀邦・元総書記の死を追悼する学生たちが集まった。

天安門を研究している歴史家のWu Renhua氏によると、兵士はまた「自衛のために行動と、障害を取り除くためのいかなる手段の使用」が認められていたと

この動きを察知した中国共産党は、戒厳令を布き、

デモの鎮圧のために警察ではなく軍隊を動員。

市民に対し、無差別に発砲し強引に鎮圧したのです。

当時、「人民日報」という中国共産党の機関紙が

「旗幟鮮明に動乱に反対せよ」

という社説を一面に掲載しました。

学生たちの活動を「動乱」と位置づけ、

共産党の指導に反するため断固として

反対しなければならないという内容が記されていました。

この事件は、当然世界から猛烈な批判を浴びることになります。

当時、中国は国際社会から非難され、

西側諸国から経済制裁を課されることになりました。

現在でも中国共産党は、

天安門事件に関するあらゆる検閲をおこなっており、

中国国内ではこの件についてインターネットで

調べることすらできない状態です。

引用:天安門2

犠牲者

中国の報告によると、死者は319人。負傷者は9000人。

中国当局は被害はもっとも過小なものだったとしています。

しかし、イギリスのBBC調べによると、

死者は少なくとも10,000人。

当時は見せしめのために市民の遺体を街につるしあげていたそうです。

日本でも一斉に天安門事件を報道しましたが、

各新聞社でばらつきがありました。

たとえば

・読売新聞は「死者3000人以上」

・毎日新聞は「死者2600人かそれ以上」

・朝日新聞は「死者2000人、負傷者5000人以上」

といった具合で、正確な数は把握しきれていません。

他にもソ連が「死者3000人」と見積もっており、

これが現段階でもっとも信頼されている数字のようです。

中国国内でもこの事件をひた隠しにする風潮が強いため、

追加調査はおそらくおこなわれないでしょう。

情報が錯綜していますが、

いずれにしても319人よりはるかに多い、

というのは間違いなさそうです。

その後の中国

天安門事件以降、後任の江沢民は民主化運動に

国民が走らないように「愛国教育」を徹底させるようにしました。

天安門事件については事実が隠蔽され、

中国ではこの事件について詳しく知ることができないよう

中国政府が管理しています。

習近平国家主席 天安門事件を正当化(2022年1月3日) – YouTube

当時の画像はあまりに残酷でグロテスクなため天安門事件について

画像を調べるのは個人でお願いします。

人の皮が剥がれ、肉が見えている状態の写真もいくつもあります。

多くの被害者を出した事件に対し、西側諸国は非難し、

経済制裁を実施しました。

しかし、当時の日本は

「中国の国内問題であり中国の非難には限界がある。そして、制裁は中国の孤立化を招くので得策ではない」

と制裁に反対していました。

参考資料↓

天安門当日、日本政府「対中制裁に反対」打ち出す…「戦後賠償」の考え背景に円借款継続 : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)

日本は円借款を一旦延期しましたが、1990年7月には再開しています。

また、同年11月には当時の海部俊樹首相に天皇訪中を招請していました。

そして91年6月の日中外相会談で天皇訪中を正式に招請し、

同年10月には天皇訪中が実現しました。

この裏には、

「日本の天皇が中国を訪問すれば、西側諸国の制裁を解除でき国際社会に復帰できる」

という中国の思惑もあって、

これは大成功して現在の中国の地位獲得へ繋がっています。

要するに、中国は天皇陛下を利用し、

日本政府はまんまとその策略にハマってしまった

というわけです。

習近平国家主席の3期続投が決まり、

今後の情勢も予断を許さないです。

おススメの動画↓

【天安門事件】ゼロからわかる!中国が歴史から消した虐殺事件 – YouTube

香港では毎年、追悼集会が行われていましたが、

国家安全維持法が制定されて

取り締まりの強化が行われてからは

親中派による中国料理のイベントが行われるようになりました。

【5分で分かる時事!】香港国家安全維持法って何?分かりやすく解説!
香港の国家安全維持法について解説 引用:中国 分からない人 香港での国家安全維持法って何? ちろは 反政府の行動を取り締まり、政権転覆などを犯罪行為とし、最大で終身刑とする法案だよ。 分からない人 何が問題なの? ちろは 表現の自由が失われ...

2023年10月27日、前首相である李克強氏が亡くなったと中国メディアが

報道しました。

理由は心臓発作と言われていますが、暗殺の可能性も消えていないです。

この時、習氏は天安門広場の警備を厳重に管理しました。

なぜか?

天安門事件の再来になるのではないかと恐れたからです。

また、李氏といえば、習氏と敵対する団体出身で

度々、習氏の経済体制に不満を唱えていました。

つまり、開放経済(李氏)VS規制経済(習氏)

の構図になっていました。

3期目の国家主席となった習氏は李氏を降格させるなど

異例の対応を取っており、険悪な関係になっていたことが分かります。

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