菅義偉総理大臣
菅義偉首相が総裁選辞退を表明し、
総裁選が本格的に始まりました。
新しい総理大臣候補が出る中で、
菅首相の功績についてまとめてみたいと思います。
概要
安倍前政権の時に、官房長官を担当。
実務能力は過去の官房長官でナンバー1と言われ、
自民党総裁選では2位と圧倒的な差を作って、勝利。
失言が全くないことから、「鉄仮面」の異名を持つ。
新元号「令和」を発表したことから、
「令和おじさん」ともいわれる。
功績と実績
国民
・携帯料金値下げ
・不妊治療の保険適用
・行政の脱ハンコ
・35人学級の実現
中でも携帯料金の大幅引き下げと不妊治療の保険適用は大きかったと思います。
今まで携帯会社は市場の大半を4社のみで独占していたので、
無理に価格を下げなくても、顧客は利用せざるを得ませんでした。
しかし、そこにメスを入れたことで選択肢の幅が広がりましたね。
コロナ感染症関連
・コロナワクチンの確保(全国民が3回接種できる量)
・友好国へのワクチン提供
・国内のワクチン接種1日100万回
・給料減への給付
これは言わず、もがな。
ワクチンを早い段階で、確保できたのはすごいです。
隣の韓国はいまだに、ワクチン確保できずに感染拡大していますからね(笑)
また、台湾やベトナムなどアジアの友好国へのワクチン提供も外交実績と言えます。
外交、政策分野
・日米首脳会談での台湾言及
・日米豪印のクアッドの定例会談
・原発処理水の海洋放出決定
・土地利用規制法の成立
・皇位継承権問題の進展(男系天皇)
・東京オリンピック開催
・デジタル庁創設
・日本学術会議の改革
・従軍慰安婦の表現見直し
・稲苗法の改正→韓国の違法行為を抑制する
外交や政策分野ではかなりの実績ですね。
特に慰安婦の表現見直しや原発処理水、日本学術会議への改革は
今まで誰も手が出せなかったので、相当すごいことです。
特に学術会議に至っては、国家予算(10億円)をもらっているくせに
反日思想丸出しなので、
菅首相の行動は国益になっています。
例えば、日本が兵器分野での研究開発するのは反対していますが、
学術会議の連中は「中国とは行っていいですよ」
という約束事をしています。
学術会議についてはこちら↓
故安倍氏への弔辞全文
7月の8日でした。
信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。
あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。
その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、
あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。
あの運命の日から80日が経ってしまいました。
あれからも、朝は来て、日は、暮れていきます。
やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、
高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。
季節は、歩みを進めます。
あなたという人がいないのに、時は過ぎる。
無情にも過ぎていくことに、
私は、いまだに、許せないものを覚えます。
天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を、召し上げてしまったのか。口惜しくてなりません。
哀しみと、怒りを、交互に感じながら、今日の、この日を、迎えました。
しかし、安倍総理…と、お呼びしますが、ご覧になれますか。
ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。
20代、30代の人たちが、少なくないようです。
明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。
総理、あなたは、今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。
若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。
そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。―これがあなたの口癖でした。次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて、経済も成長するのだと。
いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。
報われた思いであります。
平成12年、日本政府は、北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。
私は、当選まだ2回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で、大反対の意見をぶちましたところ、これが、新聞に載りました。
すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と、電話をかけてくれました。
「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」と、そういうお話でした。
信念と迫力に満ちた、あの時のあなたの言葉は、その後の私自身の、政治活動の糧となりました。
その、まっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は、直感しました。
この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。
私が、生涯誇りとするのは、この確信において、一度として、揺らがなかったことであります。
総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選出馬を、ずいぶんと迷っておられました。
最後には2人で、銀座の焼鳥屋に行き、私は、一生懸命、あなたを口説きました。それが、使命だと思ったからです。
3時間後には、ようやく、首をタテに振ってくれた。私はこのことを、菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思い出すであろうと思います。総理が官邸にいるときは、欠かさず、一日に一度、気兼ねのない話をしました。
いまでも、ふと、ひとりになると、そうした日々の様子が、まざまざと、よみがえってまいります。
TPP交渉に入るのを、私は、できれば時間をかけたほうがいいという立場でした。
総理は「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。一歩後退すると、勢いを失う。
前進してこそ、活路が開けると思っていたのでしょう。総理、あなたの判断はいつも正しかった。
安倍総理。
日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、すべて成立させることができました。
どのひとつを欠いても、我が国の安全は、確固たるものにはならない。
あなたの信念、そして決意に、私たちは、とこしえの感謝をささげるものです。
国難を突破し、強い日本を創る。そして、真の平和国家日本を希求し、日本を、あらゆる分野で世界に貢献できる国にする。そんな、覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは、常に笑顔を絶やさなかった。いつも、まわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。
総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8か月。私は本当に幸せでした。
私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。
何度でも申し上げます。
安倍総理、あなたは、我が日本国にとっての、真のリーダーでした。
衆議院第一議員会館1212号室のあなたの机には、読みかけの本が一冊ありました。
岡義武 著「山縣有朋」です。
ここまで読んだ、という最後のページは、端を折ってありました。そして、そのページにはマーカーペンで線を引いたところがありました。
しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山縣有朋が長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
かたりあひて 尽くしし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
かたりあひて 尽くしし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
深い哀しみと、寂しさを覚えます。総理、本当にありがとうございました。どうか安らかにお休みください。
まとめ
メディアでは全く実績を報道しませんが、かなりたくさんありました。
側近の方々が発信した方が良いと助言するも、
本人曰く、
「別に言わなくてもいい。」
とのこと。
側近から実力はあるけど、口下手と言われるだけはありますね。
コロナワクチンをここまで確保、摂取できたのは
菅首相がスピードを意識して、号令をかけたからです。
ありがとう、菅首相!
そして、お疲れ様でした!